伊勢神宮で有名な伊勢と、牡蠣で有名な志摩は「パールロード」と呼ばれる海岸沿いの道路で繋がっている。志磨らしい入り組んだ海岸線を走るドライブは最高だ。そして、名物の牡蠣を食べられるお店が道中には点在している。
チキンハートの私は、あたったことはないがあたるのが怖くて生牡蠣は食べない。火の通った牡蠣は大好きだし、刺身も大好物なのできっと美味しいのだろうが、チキンハートには諦めるしかない。
ある牡蠣料理屋さんに入店した。気になるメニューがたくさんあって困ったが、インスピレーションを信じて、王道の焼き牡蠣・蒸し牡蠣・気になる牡蠣カバ丼・珍しい牡蠣グラタンをチョイスした。こんなにも牡蠣づくしのご飯を食べるのは初めてだ。
早速焼き牡蠣が運ばれてきた。ものすごく大きい。そういえば殻から外すのも初めてかもしれないとどぎまぎしながら食べたい一心で牡蠣の殻と戦った。大きくてプリッとした身が顔を出す。噛み締める度に牡蠣の旨みが広がって悶絶した。おいしすぎる。これが志摩の牡蠣か、頭が下がる。
他のメニューも美味しくて大満足のまま、伊勢を目指した。
伊勢神宮の外宮近くのゲストハウスに宿泊する予定だったのでチェックインを済ませたのだが、早速ここで神に出会うことになった。
ゲストハウスという施設でありながら、小旅館のようなその場所のご主人の対応は神そのものだった。築100年の造りをそのまま活かした建物は、細部まで趣が残されていた。中庭や建物内の飾り、小物に至るすべてのものが丁寧に管理されていることが伝わった。心がこもっていることが伝わるのである。当時の暮らし、日本古来の美を尊んでいるからこそできるクオリティだった。まさに「神は細部に宿る」だ。
チェックアウト時、名残惜しい気持ちを残しながら宿を後にする。車に乗り込み、サングラスを部屋に忘れたことに気づいたので取りに戻ったのだが、思いがけない姿を目撃した。なんと、ご主人(神)がサングラスを掲げてこちらを見ていたのだ。我々が部屋を後にして5分も経っていないだろう。そんな短時間で忘れ物をチェックし、取りに戻ることを見越して待っていてくれたのだ。神々しくて直視できなかった。
低身低頭お礼を言うと、ぼそっと神が「鍵の錠前部分がないのですが。」とおっしゃった。神に対してそんな冒涜をしてはならないと、散らかし気味な部屋の情景がよぎったが、恥ずかしい思いをとっぱらって探しに戻った。神も一緒に探してくれたが見つからない。
困り果てた私に「ポケットに入り込んでいる可能性があるかもしれません。お連れ様がお持ちでは?」とおっしゃった。その言葉を聞き終わらないうちに走って車に戻った。すると神のお告げ通り、ヤツのポケットから出てきた。この間もずっと、神は少し距離を置いて見守ってくれていた。神と凡人の違いをこの目にしっかりと焼き付けた。
こうして牡蠣と神に頭を下げっぱなしで、伊勢志摩の旅が幕を閉じた。