🌳クライミングに魅了された話。

エッセイ

山を登るという観点で、クライミングは登山と近しいスポーツである。
昨年、ほろがちの企画で初めてクライミングを経験させてもらった。栃木県の古賀志山にある初心者向けの岩壁にトライした(いわゆる外岩と呼ばれるものだ)。ビレイヤーとロープでつながっていて絶対落ちないという安心感からか、思いの外登ることができて楽しかったし、プロクライマー達が登る姿のかっこよさと、それができてしまう人間の凄さみたいなものを感じ、魅力に思っていた。

それ以降、特に触れる機会はなかったのだが、先日ロープクライミングができるジムに行ってきた。

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ふとした瞬間までかっこいい、古賀志山にて

私は足が遅く、運動ができるタイプではまるでないのだが、見た目だけはちょっと身軽で、すばしっこそうに見えるタイプなので、クライミングの格好に着替えたら我ながら少しできそうな気がした。「初心者なのに、ちょっとできそうな感じが出て恥ずかしいな。」と言ったら、クライマーのオーラが全然ないから大丈夫だよ、と軽くあしらわれた。

確かにそうだった、クライマーには人を惹きつけるオーラがある。なんというか、“太陽を真正面から受けたような陽“を醸している。対してハイカーは、“影を合わせ持つ日向のような陽“で、受ける印象が違うのだ。心配は無用ということがわかり、おとなしく壁に向き合うことにした。
  

ロープクライミングにはランクがあり、5.8・5.9・5.10A…とレベルが上がっていく。初挑戦だったので、5.8、9までできたら万々歳とのことだ。
5.8の壁を試しに登ってみると、途中でどうしたらいいかわからなくなり、ゴールに辿り着けなかった。離したら落ちるじゃん、というタイミングが多々あり難しいのだ。

クライミングは、自分が到達できた次のレベルの壁に挑んでいくものだから、しなやかに登っているように見える人達も、各々が自分の限界を越えようとしている。まさに壁に挑んでいて、クライマーからは熱気のようなものが滲み出る。
そして周りにいるメンバーが、動きのアドバイスをしたり応援したりしながら見守る。集中している自分には見えなくとも、周りの人が見えてることがある。個人の戦いだけれど、仲間と支え合うからクリアできる。なんか、人生みたいだなと思った。

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初めてクライミングに挑む緊張とワクワクの私

何度か練習を重ね、みんながいろいろアドバイスをくれたおかげで、初級レベルをクリアできた。中級レベルだからゴールは難しいと思うけれど、[5.10a]をせっかくだから経験しておきなよ、と言われたので最後に挑戦することにした。

ホールドが持ちづらかったり、どうしたらいいかわからない瞬間が多く、これまでと比べてグンとレベルが上がったのを感じる。下から「右手でそのホールドを持って」とか、「まだ足上げられるよ」とか具体的なアドバイスをくれたので、なんとかその通りに登っていき、ゴールが近づいていった。

だが、あと一歩遠い。左足をもう1歩あげなければホールドに手が届かないのだが、若干そり返りがある壁で、足を離すのが怖い。さらには腕も疲労している。あー、これは無理かな…と思った瞬間に、たくさんの「がんば!」の声が私の耳に届いた。その声が、ここまできたらゴールしたいという意欲を燃やした。左足を上げて、両手がついにゴールに触れた。めちゃくちゃ嬉しかった。
みんなの声が自分のパワーを何倍にも引き上げるのを、体中で感じた瞬間でもあった。
  

初日で中級レベルがクリアできるなんて、クライマーオーラ出ちゃったかな?と調子に乗りつつ、その挑戦動画を振り返った。そこには、ジムで見たクライマー達のしなやかな動きとは程遠い、モタモタとノソノソと不格好に登る姿が収められていた。
クライマーオーラを出せるまでには、かなりの時間を要しそうだと悟った。

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